オール トヨタ 2000GT その3
トヨタワークスの若きエース
'69JAFGPでGT-Rに1600GTで一矢報いるが、ペナルティー裁定で3位に泣く。
'69JAFGPでGT-Rに1600GTで一矢報いるが、ペナルティー裁定で3位に泣く。
トヨタワークスの若きエース `69JAFGPでGT-Rに1600GTで一矢報いるが、ペナルティー裁定で3位に泣く。 |
が、勝負の世界はゲタを履くまでわからない。決勝レースでは、トヨタ1600GTが好スタートを切り、序盤で主導権を握る。晴邦を先頭に、上位5台をトヨタ勢が占め、これをパワーに勝るGT-Rが追う。 勝敗は決した。トヨタ1600GTがトップでチェッカーを受けることは、だれの目にも明らかだった。事実、晴邦はGT-Rを制して最初に30周を走り切ったのである。しかし、レース終了後、彼の最終ラップの走行が走路妨害であるとの指摘があり、一周減算のペナルティをとられ、3位に甘んじた。 晴邦は結果的に3位に終わったが、このJAFグランプリでの鮮烈な走りが、彼をトップドライバーに押し上げることになる。トヨタ7のシートを約束され、ワークス入りを果たしたのである。 |
晴邦 ボクがあのレースで今も記憶に残っているのは、表彰台に立ったときだね。観客が7、8万人いたんだけど、あのときの歓声は凄かった。メインレースなんて問題にならないぐらい大きな拍手が沸き起こったんだよ。 勝負には勝ったけど、レースに負けてしまった。結局ボクは走路妨害ということでペナルティを課せられたんだけど、あれはトヨタと日産の体質の違いでもあるんだ。企業の力の入れ方の差で、順位が入れ変わったんだよね。あのころの日産はモータースポーツに並々ならぬ力を注いでいた。だから、なにがなんでも負けられなかったね。だから、強硬にクレームをつけ、GT-Rを1位にしてしまったんだ。あのTS(特殊ツーリングカー)レースでGT-Rはデビューしたんだけど、日産のドライバーは練習中から2分13秒を軽々と叩き出していたんだ。 |
それに対し、トヨタ1600GTは15秒台だった。だから最初から勝てるとは思っていなかったよ。でも、プラクティスでは2分14秒91のタイムが出て、GT-R勢に続いて4番目のポジションを得ることができたんだ。でも、それでも本番じゃ勝てるとは思わなかった。3位でお立ち台に上れればいいと考えていたんだよ。ところが、レース当日、GT-Rのドライバーがコチコチなんだ。もの凄いプレッシャーがかかっているんだね。TSレースはレギュレーションの関係で、ほとんどがアマチュアドライバーだった。純然たるワークス・ドライバーはボクだけでしたね。あとの人は契約ドライバーじゃなかった。だから、GT-Rのドライバーは勝たなければならないと、プレッシャーで顔が引きつっていたんだよ。それで最初の何周かでも、ひと泡ふかしてやろうとね。 | スタートはうまくいったんだ。序盤ではトヨタ勢がトップグループを形成し、GT-Rはかなり遅れた。5、6周目だったかな「こりゃ、ひょっとすると優勝できるかも」と思ったのは。なにしろストレート1本分はGT-Rを引き離していたんだ。でも後半になると周回遅れのGT-Rが、ボクを執拗にブロックしてきて、その差がみるみる縮まってしまった。さすがに腹にすえかねてボクもブロックし返したよ。それさえなければ、スンナリと優勝できたはずだよ。本当はね、ボクはこのJAFグランプリより、その前の全日本クラブマンレースのほうが印象に残っているんだ。みんなボクに会うと、あのGT-Rとの一戦を話題にするけど、レースとしてはクラブマンのほうが面白かった。 |
あのレースでは、メカニックが1600GTのデフを入れ間違えちゃったんだ。ギア比が合っていなかったため、2番手からのスタートでもすぐに6番手くらいまで落ちてしまったんだよ。なんとかダマしながら上位をうかがい、1台ずつパスしていったんだ。そして最終ラップの第1コーナーで、都平健二のブルーバードSSSをパスした。これはいい勝負ができたと思っているよ。会心のレースで、満足しているんだ。 |
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